診療日誌・大阪
2月6日(月)
新年の挨拶を述べようと思っているうちに、一月は過ぎ去り二月に入りました。南国紀州育ちの私は寒いのが苦手です。今年の一月はまるで冷蔵庫の中にいるような寒さでした。昨夜の冷え込みで、庭の手水鉢につららが出来てしまいました。寒さで気力が萎えてブログを書く元気がありませんでした。
関西はインフルエンザが猛威を奮い始め、マスク姿が目立つようになりました。日本海側や東北は大雪の被害が出ていますが、幸いにも京都は殆ど雪らしい雪は降らず、有り難く思っています。
一昨日の節分、昨日の立春と厳しい寒さの中ではありますが、季節は春に向かって進んでいます。冬ごもりからそろそろ抜け出してブログもまた再開です。宜しくお願いします。
今朝のウォーキング途中でミツマタの木に花が咲いているのに気が付きました。きれいな花とはいえませんが、厳寒に耐えて咲いているけなげさを褒めてあげたいと思い写真を撮りました。
そのうちに梅の開花の便りも届けることが出来るであろうと、楽しみにしています。梅花といえば北野天満宮が有名ですが、家の近くの大豊神社にも枝垂れ紅梅があります。今月の末頃には枝垂れ紅梅の花の写真をお見せできると思います。
それではまたこちらでお会いしましょう。
中田敬吾

1月10日(火)
今年の正月は色々と忙しく過ごしました。 元旦は夜明けの鐘を真如堂に撞きに行き、雑煮を祝った後は、家族で氏神(大豊神社)さんに初詣。大豊神社の参道には故細野史郎先生が寄進された灯籠があり、そこで写真を撮りました。大豊神社はコマネズミが有名で、子年の正月は神社周辺が初詣の人であふれかえっていましたが、今年は静かにお参りできました。
その後六波羅蜜寺にお参りしました。今年の大河ドラマが平清盛であり、清盛ゆかりの六波羅蜜寺はなかなか中に入れないほど、多くの方が参詣に来ていました。人の多さに酔って疲れてしまい、元旦の初詣は二箇所だけで帰りました。
8日の日曜日は裏千家の初釜茶会に招かれ行ってきました。緊張と長時間の正座で肩も腰も膝もカチカチに強ばりましたが、花びら餅は美味しく、お濃い茶も美味しく味わうことが出来、京都の深い文化に触れた感じで満足しました。
初釜の後は、大学の柔道場で卒業生の追い出し稽古とOB対現役の試合があり、応援に行きました。15年前まではこの試合に出て現役を相手に試合をしていたのですが、さすがに今は口で応援するだけです。試合の後懇親会があり、懐かしいOB連中と往事を語り合いながら酒を酌み交わしました。
中田敬吾

1月6日(金)
明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。
昨年の暮れは、不思議にもうすぐ正月を迎えるという実感がありませんでした。やはり3月11日の東北大震災と津波、それに続く原発の事故が尾を引いているのかも知れません。
八方塞がりで活路を全く見いだせないような閉塞感の中でも、じっと耐えている被災者の方々の姿に感動し涙が溢れて参ります。しかしどのような困難な環境におかれましてもその状況が永遠に続くことはありません。必ずや困難は克服され、道は開けてきます。私達の世の中は当に「人生万事塞翁が馬」の諺の通りだと思います。今の苦しみの中にも、必ず明日の幸せの種が芽生えてきていると思います。
除夜の鐘を聞きながら、東北の復興の一日も早からんことをと、祈りました。
今年は壬辰(みずのえのたつ)年です。龍神は東方の神で水を司ると言われています。龍の力によって水を制御していただき、昨年のように水が暴れないように祈りたいと思います。そして、水を得た昇竜の勢いをもらい、震災復興が順調に進むことを心から願います。
写真は三年前に撮影した、お気に入りの一枚。京都大文字山からの初日の出です。
中田敬吾
12月10日(土)
膝の調子もよくなってきていますので、早朝ウォーキングを復活しました。まだ膝は完全回復ではありませんので、歩くスピードを控えめにし、距離も少し控えめにしました。
5時半に家を出ましたが、まだ真っ暗で出会う人の顔も定かではありません。寺の傍を通ると今までは何となく物の怪の気配が感じられ、暗い中でお墓が目に入りますととても怖ろしかったのですが、「ゲゲゲの女房」のテレビ番組を見てから不思議にお墓の傍も怖くなくなりました。
6時少し前に真如堂に着きました。真如堂は吉田山の南、神楽岡通りを南に下がったところにあり、幕末会津藩が本陣を置いた黒谷金戒光明寺の北側に隣接しています。紅葉が綺麗な寺で有名ですが、暗くて紅葉の程度は全く分かりませんでした。早朝の散歩の途中でいつも真如堂の鐘の音を聞いていましたが、今朝は鐘をすぐ傍で聞かせて頂きました。ものすごい迫力のある音でした。合掌しながら鐘を聞いていると和尚様が「鐘を撞かれますか?」と声をかけて下さいました。
手ほどきを受け一回鐘を撞かせて頂きました。和尚さんほどの迫力のある音は出せませんでしたが、ゴーン!と鹿ヶ谷一帯に響いてゆきました。心がスー!と洗われる気がしました。
和尚様に礼を述べ、清々しい気分で平安神宮、南禅寺、永観堂と歩いて帰りました。南禅寺に着く頃から明るくなり始め、紅葉の素晴らしい景色を堪能しました。永観堂にはいると庭全体が大きな炎に包まれているような錯覚を来たすほど素晴らしい紅葉でした。 残念ながら、光が不十分でその素晴らしさを写真に納めることができませんでした。私の目と胸に焼き付けて帰りました。
写真は、かろうじて哲学の道で携帯に収めた一枚。
中田敬吾
12月1日(木)
膝を悪くしてウォーキングを休んでいるうちに秋が深まって来ました。哲学の小径の木々も深秋色に彩づいて来ています。今年の紅葉は遅れていると聞いていましたので少々のんびりしすぎた感じです。これ以上遅らすと時機を逸する感じがしましたので、近くの大豊(おおとよ)神社と若王子(にゃくおうじ)神社にお参りし紅葉の様子を見てきました。
若王子神社は哲学の小径の南端にあり正式には熊野若王子神社と言い、平安時代から続いている古い神社の一つです。後白河法皇が熊野権現を勧請したのが始まりと伝えられています。この神社の傍に真っ赤に色付いた楓が一本ありました。その傍にある叶匠寿庵の庭にもきれいな楓がみられました。
哲学の小径南端から二百メートルほどの真っ直ぐな道の東側に楓の木が数多く植えられていますが、そこはまだ紅葉はしていませんでした。今年の紅葉は場所により、又個々の楓によっても紅葉しているところとまだまだのところがあり、紅葉は長く楽しめそうです。
大豊神社の参道の南傍に会社の寮と思われる広い庭を持った建物があります。そこの庭の紅葉が毎年見事で、哲学の小径の紅葉の重要ポイントとなっていますが、紅葉はほぼ見頃になっていました。大豊神社の中にはこれといった紅葉はみられませんでしたが、一本銀杏の黄葉がとても鮮やかな黄色で綺麗でした。
近々真如堂の紅葉を写真に納めてこようと思っています。 では又。
中田敬吾
11月28日(月)
冬の到来を告げるゆりかもめが大阪診療所の側を流れる土佐堀川に飛来してきました。まだ数羽がみられるだけですが、そのうち大群となって川の上を飛び交い目を楽しませてくれます。
遠くからみているとなかなか可愛い鳥ですが、うっかり窓を開けると餌をくれると思うのか傍まで飛んで来てギャァギャァ大声で鳴き、数が多いときは怖ろしく感じるほどです。気性も荒いのか激しく餌を取り合って争っています。
私が大阪で診療を始める頃には既に餌も食べたのか難波橋の橋の街灯の上で羽を休めています。夕方3時半になると決まって一羽が空高く舞いだし、それに連られてあちこちに散っていたゆりかもめが集合し、しばらく群れて飛んだ後一斉にねぐらに向けて飛んでゆきます。
数年前から一羽の特に大きなゆりかもめに注目しています。何歳になるのか知りませんが、群れのボス的な存在だと思っています。餌の取り合いをするでもなく悠々と飛んで来ては、いつも一段と高いところにある阪神高速道路の街灯の上で他のゆりかもめを見守っています。
今はまだ先遣隊の数羽しか来ていませんが、間もなくボスも飛んで来るであろうと心待ちにして眼下の土佐堀川を眺めています。以前からボスに名前をつけようと考えていますが、なかなか気に入った名前が浮かんできません。誰か気の利いた名前を考えてくれませんか?
中田敬吾
11月17日(木)
久しぶりにブログを書きます。
膝も随分良くなりましたが、大事を取って早朝ウォーキングは控えています。そのうち哲学の小径の紅葉が見頃になったら写真を撮ってお見せしたいと思っています。紅葉観光客の増加を当て込んであちこちの寺々でライトアップを始めていますが、今年は紅葉の季節がかなり遅れてきそうな気配です。 写真は、やっと色づいた木を見つけたものです。
先日、大阪で東洋医学会関西支部例会(関西支部の学会)がありました。私は午前中のシンポジウム「エキス製剤黎明期事情」で当院での漢方エキス製剤開発の歴史を話しました。昔の先輩方の苦労された事々を振り返るのも色々と勉強になり、自分も頑張ろうという元気が湧いてきました。
学会には終了後に懇親会がつきものですが、この日は経費節減と本部からの要請もあり、懇親会がありませんでした。私の師匠の細野史郎先生は常々「よく学び、よく遊べ!」と仰って、学会や勉強会の後はよく飲ませて頂きました。勉強の後に、皆で酒を飲み交わすのも楽しいものです。私の場合アルコールは不思議に明日へのエネルギーに変わって行きます。次回からは又懇親会も復活したいものです。
今夜も明日へのエネルギー蓄積のために夕食時に少々(?)お酒を頂きましょう。日本全国どこのお酒も美味しくいただきますが、最近は努めて東北のお酒を選ぶようにしています。お酒を飲みたいのではなく東北の支援のために今夜も飲むのだと自分に言い聞かせています。
では又、乾杯!
中田敬吾
10月31日(月)
膝が痛いからと落ち込んでいてはいけませんね。
好きな金木犀の時期も過ぎました。
少しはアカデミックな話しもしましょう。
私は、今年の四月から細野八郎先生の後を受けて京都漢方研究会の会長を務めています。200人ほどの会員で構成する薬剤師主体の勉強会です。全国各地に漢方の勉強会が組織されてきていますが、その中でも京都漢方研究会は歴史がありレベルの高い勉強会を続けています。20年も継続して研究会を続けるのは並大抵の努力ではないでしょう。漢方をもっともっと勉強して行きたいという会員の方々の情熱があってここまで続いてきていると思います。
先日、研究会の20周年記念祝賀会と記念講演会が京都薬科大学の講堂にて開催されました。
祝賀会での会長の挨拶では、役員のみなさんの努力と、漢方を長年真面目に勉強してきている多くの会員の情熱を、大いに評価して褒めておきました。
毎回会場を提供して下さっている京都薬科大学にお礼の意味を込めて寄附をさせていただきました。また、大学の図書館にも近世漢方医学集成を寄附しました。大学からは乾学長が出席下さり、その目録を手渡しました。
記念講演会も非常によい話しを聞くことが出来大変意義のある記念祝賀会でした。
記念講演の後、祝宴を薬科大学食堂で開催しました。私は乾学長と隣り合わせに座り、非常に学生時代の頃の思い出など、話が弾みました。
乾学長は京大薬学部出身で私の一学年下で、学生時代はお互いに全共闘の学園紛争に巻き込まれて苦労したこと、乾先生は野球をやった話し、私は柔道の話しと、同じ学園で過ごした日々を思い出し、話が尽きません。当然お酒もすすみます。ビール・日本酒・ワインと次々皆さんが注ぎに来てくれ、心ゆくまで乾学長と飲み交わしました。
友を得て美酒酌み交わす楽しさに、夜の更けるのも、膝の痛みもすっかり忘れた、一夜でした。
中田敬吾
10月27日(木)
しばらくブログをお休みしました。
早朝ウォーキングの事を書き、頑張って歩いていましたところ、急に左膝が腫れて痛み出しました。頑張り過ぎて膝に負担がかかり、関節炎を起こしたようです。正座も出来なくなりました。下り坂や階段を下りるのがとても苦痛になりました。折角ブログで京都の四季を紹介しようと思って歩いていた矢先に膝が悪くなり落ち込んでいます。
そういえば今までも10月になるとしばしば体調を崩していました。去年も一昨年も10月中頃に急性腰痛で何日間か苦しんでいます。それで10月を「私の腰痛月」と命名し注意するようにしていたのですが、夏の暑さですっかり忘れていました。
今回は腰痛ではなくて膝関節炎となりました。膝にお灸をし、「疎経活血湯(そけいかっけつとう)」という漢方薬を服用し目下養生に務めています。痛みはだんだんと軽くなってきていますので、ほっとしています。膝の痛みが取れましたら又ウォーキングを再開したいと思っています。今度は無理に頑張らず楽しみながら適度なウォーキングにしておくようにしましょう。
10月にはいると気温の変化が大きくなり、昼間は暑いぐらいでも日が暮れると急に冷え込んできます。この冷えも痛みの原因となっていると思います。そろそろヒートテックの暖かい下着のお世話にならなくてはいけないようです。では又。
中田敬吾
10月18日(火)
10月に入り、朝晩は暖房を思うほど冷え込むようになってきましたが、晴れた日中は、エアコンに頼らなければ汗びっしょりとなります。気温の変化に身体がついてゆくのが大変な季節です。
肌寒く感じながらの早朝のウォーキングは快適です。鹿ヶ谷界隈は金木犀が随所に植えられており、思わぬ処で微かではありますが甘い香りが漂ってきて心が潤されます。
金木犀の香りに、遙か彼方に過ぎ去った高校時代の光景が胸に浮んできます。
高校二年生の新学期、M子さんと同じクラスになりました。少し小柄で、額が広く、目が大きく、丸顔でハッとするような可愛さでした。三年生になる頃には好きで好きでたまらなくなりましたが、そんな思いは一切口に出来ませんでした。
高校三年の今頃、国鉄の汽車で通学していた私は、朝一番に教室に入ります。一人で自習していますと何とも言えない甘い香りが漂ってきました。ふと顔を上げるとM子さんが鮮やかな濃いオレンジ色の無数の花をつけた枝を花瓶に挿すところでした。
「あー!いい香りやなぁ!この花何ちゅう花なん?」
M子さんが答えました。「金木犀よ。」
「ああ、そう!ええ花やなぁ!」
私はいっぺんにその花が好きになりました。
今でも金木犀の季節が来るとM子さんが心に浮かんできます。
ところが先日職場で金木犀が話題になりました。「私、金木犀大嫌い!トイレの臭いと同じだもの・・!」という人が居ました。
何という幻滅、何という想像力の乏しさ。この素晴らしい金木犀の香りからトイレしか連想出来ないという人を哀れに思いました。
幸いにも私は金木犀の香りで至高の時を過ごすことが出来ています。M子さんへの淡い思いを抱いた自分を懐かしく思い出しながら、今年も金木犀の季節が過ぎようとしています。
中田敬吾
10月14日(金)
早朝ウォーキング
私は2年前の4月28日から早朝ウォーキングをしています。学生時代は柔道をやり体力に自身があったのですが、五十路を迎えた頃から急速に体力の衰えを自覚するようになりました。たまにゴルフに行きますと、疲れて帰りに運転中に眠くなって困ることが度々でした。何とかもう少し体力を回復したいと思っていましたが、スポーツジムなどで定期的に運動する暇もありません。
「お父さん、家の近くにはウォーキングに適したところがいっぱいあるのに、歩いたらどうですか?わざわざジムなどに行かなくても、近所を歩くだけでも体力回復の良い運動になるのに。医者ならもっと自分の健康にも気を付けて下さいよ!」と、たまたま帰省していた長男に意見され、単純な私は即決心し、毎朝歩くことにしました。
自宅は哲学の小径の中程にあります。毎朝5時に起き、身支度をして5時半頃出発。近くの霊鑑寺から北に向かい、安楽寺、法然院、銀閣寺を経て方向を西に変えて吉田山に登り、山頂で大文字山を仰ぎながらラジオ体操、腕立て伏せ、足腰のストレッチの後、吉田山を縦断して真如堂、黒谷今戒光明寺を経て、平安神宮から南禅寺、そして哲学の道に戻って自宅に帰ります。
時間にして100分~110分、歩数にして11,000歩から12,000歩、距離は7~8キロです。ウォーキングの途中で色々気付くことがありますのでブログで紹介したいと思います。
ウォーキングの効果はてきめんです。体重は75kgから69kgに減りました。スタミナも付きました。ゴルフ帰りの車の中でも居眠りしなくなりました。ゴルフも後半になると疲れてミスショットやOBを、連発してスコアが滅茶苦茶になっていましたが、後半の崩れがなくなりました。いい傾向です。
もう少しすると石川遼君並みのものすごいスコアが出るのではないかと勝手に空想していますが、それは叶わぬ願いですかね。
中田敬吾
10月8日(土)
本日からブログを始めます。先ずは私の自己紹介から。
生まれは1945年、酉年の11月。太平洋戦争終戦の年です。
和歌山県日高郡印南(いなみ)町の出身です。海まで徒歩で数分の海岸の町。「黒潮おどる南国紀州出身」と自己紹介するのが常でした。印南町には何も自慢するようなものはありませんが、鰹ブシ発祥の地と伝えられています。山あり、谷あり、川あり、海ありの田舎町ですが、観光するような処は何にもない退屈な町です。しかし魚は新鮮で帰省するのが楽しみでした。
印南の魚の話しをしましょう。
今の季節、私の大好きな魚は磯で釣った「アイ」という魚です。鯛のような形をして色はやや黒っぽい黄土色に近く、磯の香りがします。私には、「懐かしい味」の魚です。生きた魚には背びれに強力な毒があります。釣り上げてうっかり背びれに触れると、赤く腫れ上がってとても疼きます。
軽く塩をして一夜干しを焼いて食べますが、言葉で表現できないほどの美味しさです。焼き加減が大事です。ステーキのレアのように、やや生っぽい感じの焼き方が美味しいのです。
この魚は面白い魚です。酒粕を餌にして釣ります。酒粕も上等の酒粕でないと釣れません。高校時代までは父の伴をして磯によく釣りに行きましたが、父は上等の酒粕を購入しそれに特級酒を振りかけて餌にしていたのを思い出します。
酒好きの魚の故か酒の肴にするとお酒も一段と美味しくなります。秋の夜長アイの塩焼きを肴にして飲む酒は何物にも代え難い美味しさです。
アイは愛に通じます。アイを好んで食べたためか私もつい恋多き人間に育ったようです。では又ブログでお会いします。
中田敬吾

