胃炎

はじめに

漢方は色々な病気の予防あるいは治療の上で、消化器を健全にすることを特に大切に考える医学です。消化機能を総称して「胃気」と呼びますが、胃の気が健全であることが健康であることの基本であると考えます。
漢方では患者を診察するときに「先ず胃気を伺え」と教えられます。
「胃気を伺え」とは胃気があるかどうかを先ず診断せよということです。胃気があれば仮にどんなに重篤に見えても治療により治癒に導くことが出来る。しかし胃気がなければどんなに名医が治療しても患者は助からないと言うことです。昔の医師は脈を診ることで胃気の具合を知ることが出来たときいています。胃気は消化機能に反映されますので食欲の具合を聞くことである程度の胃気の具合を知ることができます。
さて何故胃気が重要であるかといいますと、私達は食物を消化することにより、栄養とエネルギーを身体に取り入れています。エネルギーを漢方では「気」と呼んでいます。「気」が充実しているときは免疫力が高まり病気から身体を護ります。又病気の場合も「気」を充実することにより治癒力を高めることが出来ます。
胃気を健全に保つことは身体に「気」を充実することになり、免疫力を高め、病気の予防とさらに病気の治療につながってゆきます。このことから漢方ではどんな病気の場合も胃気を健全に保つことを重要課題としているのです。消化器疾患はこの胃気を弱め、免疫力の低下につながって行きます。そのような訳で消化器疾患の漢方治療について考えることにしました。
今回は、胃炎を取り上げそれの漢方治療を述べます。

胃炎について

ピロリ菌の発見により胃炎はピロリ菌の感染による感染症であるとされていますが、ピロリ菌だけではなく普段の食生活の不摂生、過剰のストレス、その他の原因による胃炎も見られます。
胃炎は急性胃炎、慢性胃炎の二つに分けられます。
急性胃炎は日常飲み過ぎや食べ過ぎによるものが殆どです。数は少ないですが、食物アレルギーによる急性胃炎、抗生物質など薬の副作用による急性胃炎、野薬など毒物によるもの、細菌やウイルス感染による急性胃炎なども挙げられます。過度のストレスによる急性胃炎も最近では時々見られるようになっています。
慢性胃炎には胃の粘膜が萎縮してくる萎縮性胃炎、胃の粘膜の筋肉が緊張して厚く見える肥厚性胃炎、粘膜がただれる糜爛性胃炎があります。胃炎が慢性化する原因ははっきりしていませんが、ピロリ菌の存在、精神的ストレスの侵襲、食事の不摂生の繰り返し、疲労の蓄積などが考えられています。

胃炎の症状

食欲不振、胃のもたれ、胃のつかえ、胸やけ、げっぷ、吐き気、嘔吐、心窩部痛(胃の痛み)、吐血、下血などが挙げられます。このような症状は胃炎に限らず胃潰瘍や十二指腸潰瘍でも見られます。胃炎と潰瘍の違いは心窩部痛(胃の痛み)にあります。潰瘍の場合は空腹時の痛みが特徴的で、食事をすると治まります。又潰瘍の時は消化管出血も伴うことが多く大便が真っ黒でコールタールのようになります(タール便)。

胃炎の漢方治療

急性胃炎の場合は殆どが暴飲暴食によるもので、この場合は基本的には胃を休ませる様にすれば2〜3日で症状は改善します。もちろん漢方薬も一緒に服用するとなお効果的です。用いる漢方薬は平胃散(へいいさん)、大柴胡湯(だいさいことう)、半夏瀉心湯(はんげしゃしんとう)などが挙げられます。これらの処方は胃腸は丈夫ですが食べ過ぎや飲み過ぎのために急性胃炎を起こしている場合に用いられます。
処方選択にあたっては漢方的な診断の元に適当な処方を選択する必要があります。
一方元々胃腸が弱い人で胃腸を壊し急性胃炎になっている場合は、香砂養胃湯(こうしゃよういとう)、人参湯(にんじんとう)、六君子湯(りっくんしとう)等を選択します。
慢性胃炎の治療の場合も胃腸が丈夫な人と虚弱な人に分けて考える必要があります。胃腸が丈夫な人が慢性胃炎に陥っている場合は食事の不摂生、ストレス過多、過度の疲労蓄積などが考えられます。食事の不摂生による慢性胃炎の場合は急性胃炎と同じく平胃散、大柴胡湯、半夏瀉心湯などが適応します。ストレス過多による慢性胃炎の場合は四逆散、柴胡桂枝湯、大柴胡湯など柴胡を含む処方を選択する機会が多くなります。疲労の過度の蓄積の場合は清暑益気湯(せいしょえっきとう)や補中益気湯(ほちゅうえっきとう)を用います。
胃腸の虚弱な人は疲れやすく、疲れると食欲もさらに低下します。このような場合には清暑益気湯あるいは補中益気湯などを用い元気を出させるようにします。その他胸やけの強い場合は牡蛎(ぼれい)や山梔子(さんしし)加えて用います。

症例

1.67才の建築業の男性の方は、以前からひどい胸やけに苦しんでいました。食後に胸やけがひどくなりとても苦しい。うどんだけは胸やけをおこさないので一日三回うどんばかり食べています。うどん以外のものを食べると食後に胸やけがひどくなり胃も痛んできます。何とか色々食べられるようにしてほしいと訴えて平成7年3月に来院されました。身長は160cm、体重は72kg、肥満していますが筋肉質の体型でした。腹壁は厚く腹筋に力があり心下部の筋肉は堅く緊張していました。便通は毎日あるとのことでしたが硬くて量が少ないとのことでした。
体格も良く胃腸が丈夫なタイプの胃炎に用いる大柴胡湯に牡蛎を加えて処方しました。一週間後に「胃がとても楽になりました。色々食べられるようになりました。食事が楽しみになりました。」と喜んでくださいました。

2.70才の主婦の方。病名は夏ばて、慢性胃炎、胃下垂症でした。極端な食欲不振、全身倦怠感、易疲労、胃のつかえ、息切れ、不安を訴えて平成7年7月に初めて来院されました。
生来胃腸が虚弱で、夏ばてがひどく、毎年梅雨に入り蒸し暑くなると上記の主訴が出現してきます。今にも命が絶えてしまうように感じてとても不安であると訴えられました。長らく近くの内科と大学病院にかかっていますが一向に埒があきません。「今年も夏に入り食欲が全くなくなり、かろうじて粥をすすっています。全身倦怠感が強くこのままでは夏を越すことが出来ないように思います。先生!助けて下さい!」と診察室ですがりつかれてしまいました。
153cm、33kg、小柄で骨と皮だけの痩身の老婦人でした。唇は蒼白、顔色も蒼白。腹壁は薄く軟弱で心窩部を手で揺するとジャブジャブ水が溜まっている音がしました。腹壁が薄いため腸管の動きが手に触れました。典型的な消化器の虚弱な人の夏ばてでそれに伴う慢性胃炎の患者さんでした。胃腸の虚弱な人の夏ばてに用いる内外傷弁清暑益気湯(ないがいしょうべんせいしょえっきとう)を主方に香砂六君子湯を兼用として一日二回朝晩服用して貰い、足三里に施灸しました。
患者さんは毎日仏様に祈り感謝を捧げながら薬を服用しました。経過はとても順調で食欲は次第に改善。2週間後には普通の米飯を食べられるようになりました。食欲の改善とともに倦怠感や疲労感も改善しました。10月に入り疲労倦怠感は完全に消失しましたので清暑益気湯を中止し、以後香砂六君子湯を一日三回服用する様にし、好調な経過を辿りました。

おわりに

中国金元時代の名医と評されている李東垣(りとうえん)は「胃腸が弱るとそれが原因で色々な病気が発生してくる。」と述べ、病気の治療と予防の上で消化器を健全に保つことの重要性を主張しました。この理論は現在でも治療上重要であり、臨床医学の真髄が語られていると思います。
「たかが胃ぐらい。」と軽視することなく、日々の生活の中で胃腸を常に健全に保つように心懸けて行くことが生活の質(quolity of life:QOL)の改善のためにも重要といえます。消化器は過剰の湿気を嫌がります。水分摂取が多すぎると胃腸が弱ります。血液をサラサラにするために水を飲むようにと一般にいわれていますが、胃腸の弱い人は水分は余り取りすぎない方がよいのです。又砂糖も胃腸の働きを弱めます。
胃腸の弱い人は甘い物をとりすぎないようにすることも大切です。果物を取りすぎるのも胃腸を冷やし働きを弱める結果になります。慢性胃炎に悩まれている方はこのような点にも気を付けて食養生することが大切です。
以上胃炎について簡単にお話ししました。

大阪診療所 中田敬吾 理事長
筆者 中田敬吾 (Keigo Nakata) 理事長 (大阪診療所)
昭和45年 京都大学医学部卒。昭和47年当院にて診療開始。
日本東洋医学会評議員。故細野史郎(聖光園細野診療所、創設者)・故坂口弘に師事。
昭和40年前半、学園紛争で大学内が荒れ果てていた頃、聖光園を知り、坂口弘先生について漢方の勉強を始める。京大病院内科で研修終了後、迷わず聖光園に入所し、漢方臨床研究に入る。昭和50年京都大学大学院に入学、胆道系の自律神経支配とプロスタグランディンの研究で医学博士号を受ける。
長年、日本東洋医学会関西支部支部長を務め、東洋医学会の指導的役割を果たしてきている。また、漢薬原料調査委員会においても委員長を務め、絶滅の危惧のある良質の生薬の保存に力を注いでいる。
京大柔道部OB(柔道4段)

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